自然エネルギーの幻想。太陽電池が好きだった。

昔から、科学ネタが大好きでした。人工衛星というのも、当時、自分には大変興味深いものでした。その人工衛星は、太陽電池で衛星で使用するエネルギーの一部を作り出しているということでした。(人間の寿命と比較すれば、間違いなく)無限のエネルギーである太陽光から電気をいつまでもえられるなんて、なんて素晴らしいんだ、と感激したものです。そして、ついには自分でも手に入れたくなって、小さな太陽電池をパーツメーカーから購入したりもしました。1つぐらい手に入れたところで、何の役にもたたないんですがね。今では、100円ショップに行けば、システムになったものが入手できますので、隔世の感です。まあ、とにかく、太陽電池はわくわくしたものの一つです。

やがて、ほかのものへの興味もどんどんひろがり、太陽電池への興味も薄れてきて、自分は社会人になりました。社会は急激に太陽光パネルを立ち上げました。少なくとも、自分には、ずいぶん急に開発が進んだのだなあと思えました。政府の電気買取制度ができ、自分だけで使用するのではなく、電気の販売までできるようになったのです。太陽パネルの購入のために補助金制度が存在していたので、太陽光パネルは高額(自宅用で200万円ぐらいしていた)でしたが、新しもの好きの人々は購入を始めました。自分の周りの人たちもポチポチと自宅に太陽光パネルを購入した人もいました。企業も太陽光パネル関連の事業を続々と立上げ、相当の投資が行われ、太陽光パネル活況となったのです。よく思い出すのが、この時勤めていた会社での出来事です。その会社は安全活動に熱心な会社だったのですが、職場でKYTイラストを使っての危険予知トレーニングをいつもやっていました。

そして、あっというまにピークは過ぎ去りました。補助金制度はとうに終了、そして、買取価格は大幅の下落となったのです。そしてあとになって知ったのですが、なぜか、関係のない人にまで、再エネ負担金が各一般人の電気代から支払わされています。今や、住宅の屋根や、田舎の空き地、山には太陽光パネルを大変よく見かけます。あんなにあこがれだった太陽電池は、夢の、理想のエネルギーではなく社会を蝕む、システムになったのです。